[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いや、ここまで大事になるとはとは思ってましたが(?)自分はこのときを待っていた
実は下の記事を書いたのは2つの意味があって、さらに言えば下の記事には意味なんてないのです。
文才が無い僕にとって文字はとんでもなく難しい存在です。そんなもの操るなんて高度なことは出来ないのでミックスさんの言う通り嫌いな理由をだらだら書いただけです。下のは批判じゃないです。主観の意見ですよ。
そもそもの発端CDを叩き割る。これは個人的にはブラックジョークなつもりでしたがブラックなだけあってARAさんに怒られました。ご、ごめんなさい。
ですが僕の意見も聞いてもらいたい、ここのような空間に同じ趣味を持った人数人とその趣味を認めたくない人が1人いて、人前で趣味を晒すのは止めてくれと言ったら「個人の自由」とその人たちは言った。と。
自由は難しいのです。
確かに誰だって好き嫌いはありますが、全員好きな物を好きなだけ振りまいて生きていたら協調性のない自己中心の世界になってしまうでしょう?今はそれが一部に限っていますが、それは一人一人が好きな物を我慢して自粛しているからだと思うんです。責任というものがあるから。
社会で生きているから全員が「責任」を持っていなければいけないのです。
一人の空間と誰かと一緒にいる時間は違います。その人のことを気にかけなければいけない。その人と自分が気持ちの良い空間を作る・・・まぁこれは理想的なもので100%そうでなければいけないわけではないですがやっぱり他人に迷惑をかけることは最悪感が出てきて自分も嫌な気持ちになるでしょうし・・・。
十人十色千差万別。誰もが誰も違います。顔も名前も趣味も好きな食べ物も。だから自由と責任が生まれます。皆が平和であるために。
だけど今の人たちは自由を履き違えていると僕は思うんです。電車の中でよく音楽をイヤホン無しで聴いている人がいますが問い詰めると殆どの人が「個人の自由だから」「嫌ならお前も音楽流せばいい」と。
ここで、はいそうですよねでは自分も大音量でカービィマーチ流しますねと言うようになってしまったら。。
ゾッとします。
・・・ここで出てきてしまう自分の不甲斐無さ。僕自身他人の主観を差し押さえて自分の意見のみを押し付けてしまったことがありましたね。自分が責任を持ったような気持ちで感情的な発言をしたことにしてもそれはただ単に人を不快にしてしまう結果になってしまいました。これは本当にあやまらなければいけませんね。
なにも言い訳なんてしません。ごめんなさい。
だけども謝った所で僕のアニメ嫌いは直ったらすごいなと思うわけですがなかなかどうして人ってものは強情ですからして直りませんが今後はそれとなく自粛していくので、ね。えへへ。
僕が意味の無い発言をした話しはまだしてませんでしたね。まぁ皆の心の内を見たかったんですとでも言っておきます。
あやふやなことを言いましたが皆の心の中は文字では表せないから、文字なんて所詮人が作った通信手段なんぞに皆の考えてることは確実に伝えられないでしょう。人の心はパソコンみたいに0と1で出来てませんしね。
でも間接的に教えてもらいたかっただけです。コメントしてくれた人ありがと!
・・・といつもと変わらない自分を詳しく書いただけの文章ですがここまで見てくれた方に感謝です。
先に、自分も今回は言葉がきつすぎたな、ということを謝っておきたいと思います。
すみませんでした。
じゅうえんさんの言わんとしていることはよくわかります。
一般的には「社会の福祉」と呼ばれる、自由の規範のことですね。
確かに、自由と一言言っても色々あります。
じゅうえんさんの言うとおり、電車の中で音楽をイヤホン無しで聴いて、それを自由と言う人もいれば、あの奈良の有名なスピーカー騒音事件だって、自由という名の元でしている行為です。
でも、それらってマナーという点で見れば、駄目であるということは一目瞭然、当たり前に分かることですよね。
自由に規範があるように、行為自体にも規範がある。
それはじゅうえんさんもよく分かっているはずです。
ならば、放送の件ではどうなのかというと、あれはマナー違反なのか。
自分はマナー違反では無いと思います。
なぜならその放送は、「放送部」が「休憩時間に音楽を流すための時間」に「音楽」を流しているからです。
確かに洗脳やらとは言葉的にアレですが、言ってしまえば「ただ音楽を流しているだけ」だと思いませんか?
これならばじゅいうえんさんの論理でも十分に説明がつくはずです。
その上で、好き嫌いの問題があるなら「水平的に話し合いをしろ」と言いました。
そして、いわばマナーを違反している訳ではないので、弾圧的に批判することはできない、という意味でフォトメモに書きました。
ただ、言葉足らずで全然伝わらなかったのは自分に非があると思います。すみません。
自分がらきすたの絵をあげたことも、実際じゅうえんさんがそれを嫌いだということは分かっていてとった行為です。
無論、じゅうえんさんを嫌がらせるためにやったものではないのは分って貰えると思います。
自分はその「社会の福祉」を踏まえた上で、それは自由の規範に当てはまる行為だと考えてした行為だからです。
「見る人の嫌いな絵をあげてはいけない」なんてマナー、あったら困りますよね?
まぁエログロを好き勝手置いてるのはマナーにひっかかりますが、そういうのは大抵アバウトや注意書きに書いてあることですしね。
自分も一応アバウトに書いてますよ。サイトに行ったらアバウトを読むのはネットマナー的にも普通なので、読んでないとかは知りませんからね。
余談ですが、サイトを見るのは見る側に責任がいくんですよね。
わざわざ見に来て頂いてる方には失礼ですが、クリックしてそのサイトを開くのは全て自分の行動、自己責任なのです。
そこにあからさまな批判、中傷、弾圧があったらのならまだしも、趣味であげている絵や音楽には口出し出来ないことになります。
言っても、「嫌なら見に来なければいい」で済まされることになったり。
責任の綾とでもいうんですかね。そこは注意しておいた方がよいです。
まぁそんなことで、じゅうえんさんの論理を踏まえた上でも、自分はそういうことに関しては十分に気をつけているつもりです。
この機会に、こういうことをよく考えることができてよかったと思います。
くどい自分ですが、これからもよろしくです。
じゅうえんさんって、アニメが嫌いなんじゃなく、それを見ている側、"キモヲタ"というイメージが生理的に駄目だったりするんじゃないですかね。アニメじゃなく、それにハァハァかぶりついている、所謂私のような"キモヲタ"の存在に。あるいは、自分は"キモヲタ"にはならないぞ、という決意のようなもの。
ARAさんがらきすたについて何かを言えば、じゅうえんさんはあのようなコメントを残すわけですが、それが私だとまた話は違ってくるんですよね。そこなんだと思うんですがね。
"キモヲタ"と同じ趣味をしてしまうARAさんに幻滅、というニュアンスに感じてしまうわけです。
あの反応(ARAさんのらきすたの記事参照)は相手がARAさんだったからこそあったものなんじゃないかな、と感じざるを得ないわけです。
アニメを批判するにしても、あまりにもじゅうえんさんはアニメを見ていないし、表面上の批判ばかりで。これは先入観の問題ですし、仕方無いですね。ブログのコメントが少しだけ燃え盛った理由ってこんなところじゃないですか?
ああ、余計な首を突っ込むな、ですね。でも偶にはこういう機会があっても良いじゃないですか。
面白いから。